マイ・マシン1

今までの”人生”の遅れを取り戻すために 
暇さえあればWindows、仕事の合間にWindowsでした




あれや これやと しているうちに、皆さんも 一度は ご経験があることと思いますが、
体験版ソフトやフリーソフトを気軽に出し入れしていると、
日増しにハング(フリーズ)する回数が増え

       操作を理解していない私にかかれば、
Windowsを不安定にする事ぐらい
朝飯前です
朝飯前(朝飯前の空腹の時にでも、あるいはそれぐらいの短い時間ででもできるような容易なこと)


ハングを直す 魔法のボタンを みーつけた!?!?
   リセット!リセット!リセッート!
(もう人差し指にタコができたぜ)
 (ハングは、知識の無い私の操作から生まれる状況で 
日本IBM・アプティバは とても優れたパソコンということを付け加えておきます)

 





P:「この使用環境では プログラム挿入後、システムに支障が出まーーす」と警告!
(「あんたの使い方じゃ、OSがもたねえぜ!」と訳せました)

    

やわらかい言い回しで・・・・
P:「仕事用とプライベート用を分ければ・・・

“上達も早いし” 
ごんどうくん
安定
してますよ!」

「ウンウン・なるほど・・・」


自営業の私にとって “安定”という二文字が どれだけ魅力的でジェラシーを生む言葉か・・・

安定磁気ネックレス」安定穴開き包丁」、「安定高枝切バサミ」安定羽毛布団」などなど
私にとって、きっと購買意欲を爆発させる
商品名でしょう?!?!



ごんどうくん(IBM機)は業務専属に栄転!


そうすると、私のWindowsが必要ではないか!
財務長官にお願いし、
マイマシンを購入する運びに・・・

(ラッキー)


                                  liger1999年


この頃でした・・ パソコンは「作れるものだ」と教えてもらったのは・・・
「よし!それなら・・・ いつかは自分も!」



どのようかものを買うか?どこの店で買うか?
雑誌やネットでの情報収集が、それはそれは楽しかったこと!楽しかったこと!

遠足の前日、浮き足立っている子供のようにように・・・・
(先生!バナナは、おやつにはいるのですかぁ〜?)
(先生!ディスプレイは、別途 購入ですかぁ〜〜)



大手パソコンメーカーは選択肢から除外し、俗に言う“ショップブランド”ってやつですか


インターネットショップでパソコン本体の基本(ベース)から予算や目的によって
パーツを交換できる商品(カスタマイズ)がありました。
オリジナル的な要素があったし、素人の私としては精一杯の背伸びでした  これに決定!。

でも・・・
店舗に行かず、店員さんの顔を見ず、話もしないで、メールだけのやり取りで 
何万円も送金する事の怖かったこと!怖かったこと!
(これが噂の、“ネットショッピング”ってやつね!ヘン!   田舎者・少し天狗かぁー)





セレロンの500Mhz ECSのマザーP6BA
命名:人民(じんみん)

ホビー(自作)感覚のオチャラケが芽生え始めたのも その頃からです・・・

普通の人間なら、パソコンはゲームとかソフトを扱うもので、
ケースを開けたり部品を取り替えたり シナイものですが!??

パソコン購入のために愛読していた雑誌は 自作や改造のことばかりで
パソコンとは作ったり 部品を取り替えたりして楽しむものだと学び
これがまた、ハマリマシタ



雑誌片手にメモリーを増やしたり、CD-Rドライブの増設や、 
各種ファンを変更したりの 手探りの日々でしたが
慣れというものは怖いもので、徐々にハードディスクのfdiskやOSのセットアップ、
RAIDから、BIOS変更やクロックアップに、この人民は “人柱機” で
私がシッカリ「生け贄」にさせていただきました。

(出来るものですね?!?!素人の自我流でも(笑)






しかし・・・

インテル社の “セレロン” と、名前が違う ”ペンティアム” とは一体どこの何者だ??
そのCPUとやらが 変わると一体どうなるの??素朴な疑問でした。

「小学校入学時に買った“勉強机” 子供の成長とともに、高さが変わる仕様があるように
あなたのパソコンレベルも 毎日「進化」しています
“CPU”をレベルアップして未来を広げましょう!!」

うまい事言うねぇ!一流のコピーだねぇ!!
必要に応じてバージョンを上げるのでは なく、
バージョンを上げてから用途を探しましょう なんて・・・
よぉ!この商売上手!!私は惑わされず、毅然(キゼン)とします!ヘン!!

でも・・・
ペンティアムV症候群が発病するのに 馬鹿には時間がかかりませんでした



悪魔の囁き・・・
「ベンチマーク・・・・」



やがてを2000年を迎え
業務担当の“ごんどうくん”はエンジニア様の努力の甲斐ありまして
何とか稼働、当事者の私は小さな案件となりつつあり・・・

(すでに気持ちはPentiumVへの泥沼直行便でした)



当然、皆様ご存知の通り
1999年7の月に「恐怖の大王」は
空からも海からも来ませんでした!!
カッカッカ